2009年6月4日木曜日

落語的学問のすすめ


著者:桂文珍1948年12月10日〜


関西大学での「国文学史」の講義記録です。

手放しに面白い!講義そのものが極上のエンタテインメントですよ、これは。

上方落語についてわかるだけでなく、人の業を大らかに受け入れて笑いに変える落語的発想が、豊かな語彙のひとつひとつに満ちております。

とんでもない才能だなあと改めて感じ入りました。

悲しみよこんにちは

著者:フランソワーズ・サガン1935年6月21日2004年9月24日
フランス小説家脚本家および映画台本作家。

恥ずかしながら、この年になって初めて読みました。エヘヘ。
18歳の時に出版され、世界的なベストセラーになったそうです。

この作品のすごいところは、やはり作家自身の観察眼の鋭さでしょうか。

思春期の恐ろしく不安定な情緒に身を委ねながらも、
委ねている自分を恐ろしく冷静に子細に観察している。

そして、
その時見たもの、
その時感じたもの、
その時考えたこと、

これらの思春期エッセンスを、
「最愛の父の再婚を妨害する」という骨太のシナリオにちりばめた。

そして生まれたのが世界的ベストセラー「悲しみよこんにちは」。



以上、私の勝手な推測でした。

しかし案外、小説ってこの法則に則ればでき上がるのかもしれないなあと、ちょっとヒントを得たように思った一冊です。






春になったら苺を摘みに。

著者:梨木香歩

童話・絵本作家にして小説家。
人を受け入れる大らかな姿勢と芯の剛さ、やわらかで鋭い感性。
彼女の作品は、彼女の美しい生き方を写し取ったかごとく、美しくて、剛い。

彼女の英国在住時代のエッセイ集。
言葉は違えども、人は人である限り、国境を超えて通じ合うことができるとの思いを
新たにさせられる。

人と会い、通じ、刺激され、生まれるサムシング。
自らを耕す出会いは、半径50m内にあるわけではないのだ。
揺るぎない自信を持って発信できる何かを自分の中に構築できているならば、
広く世に問うべきなのかもしれない。

2009年5月26日火曜日

本当はちがうんだ日記。

著者:穂村弘

「ダメー!
(それでも生きていかざるをえない!)」

という筋肉少女帯の歌詞の一節を彷彿させる、
己のダメぶりを反省と共に描き出すエッセイ集。
あまりに不器用で正直で、
「ダメな人だあホントに」と思いながらも共感してしまう。

本当にダメな人だったら、
ダメな自分すら見つめることはできません。

2009年5月25日月曜日

わくわくする数学。


著者:ロブ・イースタウェイ
イギリス人。作家兼講師。BBCラジオの番組にも登場し、水平思考や数学、記憶など様々なテーマについて語る。ロンドン在住。

人間の「直感」とか「経験」がいかに怪しいか、を見つけ出すのが数学者の楽しみだそうです。
この本は、日常のありふれた風景を、いろんな数学パズルで鮮やかに解き明かして行きます。

数学のための数学、という感もありますが、視野の広げ方が勉強になる一冊であります。



2009年5月13日水曜日

新しい歌をうたえ。

著者:鈴木光司(1957〜)
静岡県立浜松北高等学校、慶應義塾大学文学部仏文科卒業。デビュー作の1990年の『楽園』は、1万年という時を超えた男女の愛を描く壮大なスケールの小説で、日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を得た。『リング』は横溝正史ミステリ大賞最終候補まで残り、映像化され、ホラーブームの火付け役となった。その続編である『らせん』は1995年(平成7年)、第17回吉川英治文学新人賞を受賞。(wikipediaより)


もうこのタイトルに尽きます。
新しい歌は、一人ひとりの中にあるのです。

ドリアン・グレイの画像。

著者:オスカー・ワイルド(1854〜1900)
アイルランド出身の作家・劇作家。著作に「サロメ」他。


希代の美青年ドリアン・グレイ。純粋無垢な青年だったドリアンは、とあるきっかけで出会った画家に乞われ、一枚の肖像画を残した。その肖像画にはドリアンの美貌がそっくり写し取られていた。しかしドリアンが大人になるにつれて、自身の美貌に溺れて悪の快楽と欲の誘惑に浸るようになり、その度に肖像画の方の表情だけが残忍 さを増して行く、というストーリー。ドリアンの肖像が醜悪になっていく反面、ドリアン自身の肉体の若さと美貌と純粋さは保たれるため、彼の悪事はエスカ レートしてついに……。


まずなんと言ってもこの着想の面白さ、です。この見事な舞台装置に、誰もが思春期に通過してきたであろう自我の目覚めと悪への堕落が、エスプリに富んだ語り口と克明な描写力で描き出されます。

そして、もうひとつのテーマとしてワイルドが本書で繰り返し語るのは、現実社会や道徳を超えて存在する究極の「美」や「芸術」の価値。

「悪徳も美徳も、芸術家にとって芸術の素材料に過ぎない」

言っちゃったよ!
美なるものに見入られた人間の、現実社会への宣戦布告とも取れる不遜な発言です。しかし、美を賞賛する一方で、人間の堕落や道徳観もしっかり描くバランス感覚。

そもそも、道徳と美は、互いに対角線上にも延長線上にもない価値観だと思うのだが、道徳と対比させることで美なるものが存在感を増して行くという描き方はありだなあと思いました。そして、それこそがストーリーテリングの面白さなのかもしれません。