2009年5月4日月曜日

忌野旅日記。

著者:忌野清志郎

(ひとくちメモ)
'80年代末期、私が当時購読していた「週刊FM」で、忌野清志郎が自筆イラスト付エッセイを連載していたのでした。この本はその連載をまとめたもの。「面白い人だなあ。」それが清志郎との初めての出会い。そして同じ時代を共有して2009年5月2日。あの声は、ギターは、言葉は、良心は、怒りは、哀しみは、やさしさは、赦しは、志は、精神は、光は、魂は、永遠に奪われた。次ぐ我々は何をすべきか。合掌。



話その3
ソウル・ブラザーJBのヒミツを見てしまったぜ


 さすが、冬だ。みなさん、毎日が寒いですね。まぁ、そのへん、ウチの暖房設備に問題はないんだが、外に出る時がさすがにつらい。冬も手を抜いてないぜ。
 さて、トートツだが、その寒い真っ盛りに、ジェイムス・ブラウンが来日するというホットなニュースが、カイロ代わりに街中に飛び交っているのを、もちろん御存知でしょーね。
 もー、オレの幸運な思春期にその足跡をくっきりと残し、今もなお相変わらずの活躍を続けているジェイムス・ブラウンの来日を心から祝し、JBについて熱い思いを話すぜ。聞いてくれ。

 思春期に入った頃のナイーヴなボクは、ダンサブルなJBにまるであこがれていた。JBはその頃からオレのアイドルだった。JBといえば派手な演出の『ガウン・ショー』だが、何年か前、RCの武道館ライヴでも、あの『ガウン・ショー』をやった。いまでもずっとオレのアイドルだぜ。
 7年ほど前の来日の時、ある音楽雑誌が、“JBとオレの対談”という、ものスゴい企画を企ててくれた。まぁ、名は伏せておくけど、まったくその頃は優秀な音楽雑誌がはびこっていたよ。
 対談の当日、オレと当時のRCの担当ディレクターは、JBを目の前にしてかなりコーフンしていた。JBはすごく気安くて、あのみるからに固そうな体で豪快に笑っていたよ。オレは記念にRCのダンスナンバーのシングル『ステップ』を持って行った。実は『ステップ』のジャケットを見ればわかると思うけど、オレのあのオールバックやタイトなスーツは、昔のソウルマンたちのスタイルを意識していたんだ。
 『ステップ』を手に取ったJBは、ジャケットのオレを指さしながら、な、なんと、こともあろうに「オレの若い頃そっくりだよ」と言って、あの人なつこい笑顔を返してくれたんだ。なんてスゴい出来事!
 それだけじゃない。JBは、さっきから横を離れないボディガードのマッチョマンにもジャケットを見せて「どうだい、そっくりだろ?」と同意を求めた。すると、「そうだね、ほんとに良く似てるよ」と、彼も微笑んだ。おー、オレはカンドーしたぜ。まったくイイ雰囲気だ。そ、その上、なんとJBは、オ、オレにむかって「キミはソウルブラザーNO.2だ」と、レコードに“SOUL BROTHER NO.2”と書いてサインしてくれたんだ。『ソウルブラザーNO.2』、なんてイイ響きなんだ。ホントに今思い出しても目頭が熱くなるぜ。
 そんなわけで、対談はスムースに進み、最後にオレは、明日のライヴでは「トライ・ミー」を是非聞きたい伝え、そして楽屋にも顔を出すことを約束したんだ。
 さっそく次の日、チャボと友人のJBのライヴに出かけた。JBのまったく年齢を感じさせない動きとキョーリョクなステージに魅了された。確か、当時のJBは50歳くらいだっただろう、ホントに彼のダンスはスゴかった(電車にでも乗ったらまわりのオヤジを見てみろよ。50歳っていったら、カチョーだのシャチョーだのって、ネクタイしめたヤツらとJBは同じだけ年を重ねているってわけよ。まったくキョーリョクだよ)。
 そして、こともあろうに、なんとアンコールには「トライ・ミー」を演ってくれたんだ。
 ステージが終わり、さすがに興奮ぎみのオレは、チャボとエーゴのわかる友人と連れだって、ボクのジェイムスに会いに楽屋に向かった。なんせ、オレはJBの若い頃そっくりのソウルブラザーNO.2だからね。
 楽屋のドアの前には、立ちはだかるように例のボディガードのマッチョマンがいた。オレは、昨日の彼の「良く似てる」と言ったその時の笑顔を思い出しながら、挨拶をした。「こんにちは、昨日はどーも」って感じで。それから「ジェイムスに会いたいんだが」と、つけ加えたんだ。
 バカでかいボディガードは身動きもせず言った。
「お前は誰だ?お前なんか知らないぜ。さっさと帰ってくれ」
えっ、ええー?
そ、そんなぁ。
 そして数分間、ボクたちのキボーは虚しく、とうとうソウルブラザーに会わせてもらえなかった。あー、もうこれから黒人は信じないぜ。
 オレはその時、少しだけ開いていた楽屋のドアから中を覗いた。そして一瞬、自分の目を疑った。なんと、その隙間のむこうでジェイムスは、よく美容院にあるいわゆる“オカマ”に入っていたのだ(御存知でしょーが、JBのヘアスタイルは黒人特有なチリチリヘアではない。日本のオバサン風ヘアに近い。きっとアイロンかなにか、熱の、そういったもので伸ばしているんだろうと、想像はしていたんだが…)。とにかく、オレはステージ直後のジェイムスの姿を見てしまったんだ。オレの頭には、少し前のステージの熱いJBの姿が浮かんだ。微かにめまいを感じながらも、さすが、偉大なスターほど数知れずのシークレットがあるものさ、と、気を取り直したんだ。
 しかし、JBがオレに与えためまいはもうひとつあった。
 後日、ある知人から聞いたんだが、ジェイムスはサインする時、決まり文句のように“SOUL BROTHER NO.2”を使うそうだ。
えっ、ええー?
そ、そんなぁ。
あー、それじゃ、いったいこの世界に、どのくらいのソウルブラザーNO.2がいるんだろーか。
 あれから、もう黒人は信じられなくなったが、あのJBのイメージを守る“オカマ”はなんともカンドーした出来事だった。
 さて、そのライヴの夜、オレはJBを思い出して、バシバシの『セックス・マシーン』となったのだが、まぁ、それは言うまでもないだろう、ハハハ。




あとがき(文庫版に収録)

やってまいりました。あとがきです。あとがきくらいは自分で書くかな。まー、編集のやつもそう言ってるし、そのくらいは自力でやるのが、人間社会の掟ってもんかも知れねぇぜ。
 なにしろ、いままではぜーんぶ、俺が、ペラペラしゃべって、それを、ゴーストライターにまとめさせてただけだからな。(後略)

忌野清志郎

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